37haの面積がある畑はサンテミリオンの町の南東に車で5分程の位置にあたる、 サンテミリオン地区の東の丘陵斜面というすばらしい位置にあります第一特別級全体の中でも最大の畑でサンテミリオンの丘陵に建っています。初めて葡萄樹が植えられたのは4世紀頃と言われています。
以前は生産量の大きさと人気には相反して、ペレス家が買収する前のパヴィは、サンテミリオンの一流シャトーの中でも最高の実績を誇るシャトーと は言えなかった。ワインが軽く、色合いは弱々しい等のヴィンテージが多く、早熟すぎたり褐色化するのが早すぎたり。
しかし、この不安定な時代は今となって は昔の話である。この銘柄は若いうちに飲めるサンテミリオンではない。大半のヴィンテージは、1980年代、そして1990年代初めのものは、若いうちは頑固なほどに硬く、熟成するまでに最低7~10年、瓶で寝かせる必要があります。
1990年代初めのワインはヴァレット氏がこのシャトーを手放すにあたって大きな原因となったことは間違いないでしょう。ペレス家によって造られた最初のヴィンテージは1998年でした。
わずか5年で達成したサンテミリオンの第一特別級の品質は今のボルドーでの中でも話題となっています。
18世紀までは沢山の「パヴィ(桃の一種)」を収穫していたようです。この土地の最初の持ち主としてはタルマン家が知られています。1885年、ボルドーの仲買人フェルディナン・ブーファールがタルマン家の土地を購入し、6年後には他の所有者の土地も買い足し、約50ha、125~150樽のワインを生産していました。
19世紀末、フィロキセラ禍に遭遇しますが、フェルディナン・ブーファールはなんとかこの危機を乗り切りますが、第一世界大戦後から1943年までの期間、アルベール・ポルトの手に渡ってしまいます。その後は、さらにパリの仲買人アレキサンドル・ヴァレットへと移り、アレキサンドルは60年をかけて葡萄の植え替えを行ったと言われています。
シャトー・パヴィは1954年サンテミリオン地区の格付けで「第1特別級B」に格付けされます。1967年より、アレキサンドルの孫ジャンポール・ヴァレットは、栽培地を開拓し、ワインは中世の石切り場跡の地下洞窟に保存されるようになりました。
ここは深く、湿度も十分にあり、この地域でも大きな貯蔵庫の一つであり、また、天井は地下8mにもなるのに葡萄の根が突き抜けている施設もあったそうです。1974年には崩落により、53樽のワインが犠牲になったと言われております。